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2018.08.17

人工知能とは

2. AIとは今更ながら「人口知能」とは
 
AIの実像は漠然としていますが、実態はプログラムであり人間と同じように、「自分で学ぶ」力を備えたものです。
現在その能力を利用しようとする分野は、おもに「予測」ということ。
様々な条件を「教本」として与え(その中には、予見と結果を膨大な量を含んでいる)学ばせることで、予測の確率を飛躍的に上げたものといえるでしょう。
 
その結果として、膨大な情報の中から、一見人間には無作為に発生しているように見えることが、ある法則(=確率)で起きることを「予測」することができると言えると思います。
学ばせる(経験させる)教本が、ある事象に制限(自分たちが知りたいこと)されることから、もっぱらそれは「効率」と解釈されることが多いと思います。
また、学ばせる教本の質と量によて、AIの性能は変わってくる可能性があります。
例)どうすれば、効率よくできるか(犯罪の発生予測、売れ筋の楽曲、ミュージシャンの発掘等々
あるいは、勝負事(ゲーム)において、今後の展開を予測することで、どれだけ効率よく「勝つ」確率を上げていくか・・・等々。
 
AIの現状認知は、かなり人間とはことなります。人間は相手がこうしたらこうする、というような因果関係に注目しがちですが、AIは全体の現象を総合的に認知します。
 
たとえば、将棋や囲碁であれば、勝ちやすいときはある特定のパターン(いくつかの駒がこの三角形になっているとか囲碁で繋がった石の数が何個と何個があればよいとか・・・)を見出します。
そのため、その形が実現できればどのような差し方でも関係なので、「定石」という序盤戦の特定な形が一定していません。そこがとても興味深いですね。
  
そして、ここでは、あまり感情が発生しませんが、それはあくまで「感情を学ばせない」からで、人間の子供でも受験勉強ばかりをさせていたら、コミュニケーションが不得手な人間になるのと同じだと思いました。
 
したがって、人間と同じ経験をすれば、同じように感情を学ぶこともできると思います。
そして人間の子供と同じように、個性も発生してくるでしょう。AIが人間にとって代わる、あるいは人間にはかなわない・・・という議論は、ずいぶん乱暴な議論になる可能性があります。
 
つまり、どんなAIとどんな人間を比較するか、で答えは変わってくるからです。それくらい、AIは十羽ひとからげにはできない、「個性」があると、昨日の議論から感じました。

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